Sx


「容疑者Xの献身」は2005年に文庫化され2008年に映画化された。

リビングに何気に置いてあった黒いカバーに赤いXの文字と薔薇の花。

パスタを茹でる妻に
”この小説面白いの?”と問うと
”映画観れば?ツタヤでレンタルしてるよ”と独り言のように返事。

映画か。。そだな。明日レンタルしてみよう。

翌日、僕はDVDをセットしスタートボタンを押した。妻は自分の部屋に戻った。

これが僕と「容疑者Xの献身」との出会いだ。

観終わった僕は暫く天井を見つめていた。


・・・・


この映画、ネットレビューには福山雅治、柴崎コウに対する演技に難癖が転がっている。
だが花岡靖子演じる松雪泰子と石神哲哉演じる堤真一の演技は俊逸であり批判も少ない。

ミステリーのトリックや画面の味付けは背景として重要かも知れない。
だが抑えに抑えた愛を一気にラストで放出する姿は理屈を超越する。

小説だからドラマチックに盛り上げる。それもあるだろう。
現実にこれほどの献身があった事実を聞いた事が無い。
あってもこれほど胸打つ物語と成り得るだろうか。
そこには愛憎塗れた人間臭さが薄皮下に充満しているのかも知れない。

石神は美しき隣人の罪を被り確信を得るため自らも十字架を背負う。

抜きんでた頭脳。
福山雅治演じる帝都大学物理学准教授・湯川の口から天才と言わしめた男。

人生に絶望し天井から吊るしたロープに首をかける。
その間際、引っ越し挨拶で訪問した花岡親子。
女神と天使の訪問は石神に憑りついた死神を一瞬で消し去った。

物語は映画や小説で十分にご存じだと思うのでストーリーは控えたい。

さて、この献身。有り得るだろうか?有り得ないだろうか?

数学をこよなく愛し自らの容姿を気にも留めない石神。

そんな男が女神に出合い何が変化したのだろうか。

愛を説明するのはとても難しい。

理由や根拠が理屈に合わない気がするのが愛。

例えば、
彼女は美人だから愛する。これ自体が果たして理由や根拠だろうか?
それは愛なのだろうか?それとも欲望なのだろうか?

例えば、
彼はお金持ちだから愛する。自分や子供たちの将来が安泰だから。
さてさて、これは愛なのだろうか?

親子の間には無条件の愛があるように思われているが本当にそうだろうか?

君が娘を愛する気持ちと通勤電車のホームで偶然を装い同じ場所で電車を待つ君の気持と同じだろうか?その彼女が美しいからか?美醜の基準は人それぞれだ。目の位置や鼻の位置顔の大きさ様々だ。

君は何故その人に会いたい?そして何故そんなに恋焦がれる?

その人より美しい人は他にも沢山存在している。

君は妥協しているのか?

妥協でそこまで恋焦がれるのだろうか?

これは愛の不可解な側面なのだろうか?数学では割り切れない公式の無い現象なのだろうか。

石神は苦悩したのかも知れない。天才の頭脳を持っても答えが出ない力。

重力のようでもあり、量子力学のようでもあり、不確実のようであり偶然や確率が支配しているようでもある。

それが愛。

僕はこの映画を観るたびに涙し前述の偶然や確率の力に思いを馳せるのである。

そして思う。

神はこの地球を宇宙を破滅させぬようエーテルで包んでいるのではないのか?と。
それが光であり生命体には愛を伝達する物質なのではないか?と。


君は密かに愛する彼女のために死ねるか?許されざる罪の十字架を背負えるか?

もし宇宙を支配するエーテルに導かれた愛なのであれば僕は背負えると確信する。

それは親でも無く娘でも無くても。全く僕の心を知らない貴方であっても。

石神がラストで慟哭する。

”どうして?”

涙が止まらない。演技を超越する真実の嘆きがそこにある。