溜息色した通い慣れた道♪

調布駅の南口ロータリーの少し奥まった所でギターを弾きミスターチルドレンの曲を歌う。

12月24日クリスマスイブ。駅を行き交う人々は足早で楽しげで希望と期待に満ち溢れているように見える。

60歳手前の中年歌声に足を止める者は皆無だ。

22時過ぎて寒さが体の芯まで凍らせる。

1曲歌い終えるたびに両手を口に当て息で温める。


サラリーマン時代を知る者はギター弾き歌う僕をまじまじと見ても正一だとは気づかないだろう。

年齢の割に髪の毛は豊富で長身の僕は60キロ前半まで体重が落ち後ろ姿だけでなく前から見ても40代のシンガーにしか見えないだろう。

家族と離別し単身ボロアパートに住みコンビニバイトで生計を賄う有様だが悔いの無い力の抜けた自然な笑顔を取り戻している。まるで10代の少年のように。

おじさんに成り切れない乙女心の僕は妻に愛想尽かされ自ら一人で生きる決心をしたのが5年前だった。

今は自分の生きたいように生きている実感がある。

この意識の僕は今だけだ。輪廻転生がもしあったとしても僕の前世は全く憶えがない。

何が豊で何が貧しいのか?そんなこと僕が決めることだ。他人や世間やメディアの基準規範に従って生きているっていえるのか!

そう思わなくも無いが元々競争が嫌いで脆く傷つき易い繊細な自分が他人と争いながら生きることなんて最初っから無理だったんだよね。諦めとも開き直りとも取れる心の解放が極貧の現状でも僕の脳内に幸せホルモンであるセレトニンを充満させてくれている。

ギターひとつだけ持ち僕は去った。50歳から始めたへたくそなギターだったが今となっては時間は余るほどある。2年で弾き語りできるほど自信が付いた。

負けないように♪枯れないように♪

全身全霊を込めて歌う。誰が聴いてくれるでもなくても。

女子大生だろうか?

30分前からだろうか?

小柄な女性が少し離れた場所から見ている気がした。

バイト先の子かな?と思ったが、店は別路線だし全然遠い。流石に近所に住む子もいないよな。

そう思い直し歌い続ける。

マイク無しの地声で歌っているので60分歌うのはきつい。1曲歌い終わっては5分ほど休息し次の曲を歌う。

そろそろ最後の曲にするか。


こんなにも~騒がしい~街並みに~佇む君は♪

大好きな尾崎豊の OH MY LITTLE GIRL を歌い始めた。

涙も枯れ果てたのだろうか、ただただ無心に「小さくて可愛い僕の天使」を思い出し歌い続ける。

僕の人生に衝撃的に登場した君。

人生に絶望しお洒落等全く遠ざかっていた自分が恥ずかしくなった君。

叶わぬ恋と知りつつ思いは募り君に好かれたくて痩せて行く僕。

君の可愛らしい笑顔を思い出す度に愛しさが溢れ僕は涙に暮れた。その時確信に変わった。僕のDNAは君を愛していてセレトニンが脳内に溢れ僕に至福の歓びを与えてくれていると。

君と手と手を繋ぎ多摩川の土手を歩きたかった。

君の笑顔をいつまでもいつまでも見たかった。

君の温もりを感じたかった。

だが全て叶わぬ夢。有り得ない現実。

そう悟った時、僕は全てを捨てた。そして捨てられた。


歌い終わり、誰に言うでも無く

”ありがとうございました”

と告げ帰り支度を始めた。と言ってもギターをケースに入れるだけだが。


僕はギターを背負い歩き出した。

ふと、”パチパチ” と拍手が鳴った。

そこには先ほど目にした女性が彼氏と思われる男性と一緒に立っていた。

”あ、どうも、、、ありがとうございます”

そう言って”ぺこり”と頭を下げ僕は前を通り過ぎた。

”いつまでも若いんですね。頑張ってください。応援しています”

そう聞えたような気がした。

ビクッ!としたが悟られぬよう僕は俯き改札入口とは逆の方に足を進めた。

もしや君だったのか?

一瞬にしてセレトニンに溢れた僕は止めどなく流れる涙を誰にも悟られぬよう胸ポケットに差し込んでいたサングラスをかけ隠した。

”ありがとう。うれしいです”

僕はそう小声で呟き高鳴る鼓動を落ち着かせるため多摩川の土手まで歩くことにした。


終わり